ミステリー・推理小説の種類


■代表的なミステリーのジャンル■

本格
(Puzzler)
(Puzzle Story)

推理小説のうち謎解きやトリック、ホームズに代表される頭脳派の名探偵の活躍などを主眼とするミステリー小説のこと。そもそも欧米では古典的な探偵小説の時代には大半が本格に属していたため、弁別の必要はありませんでした。

ところがその後ハードボイルド、スパイ小説、警察小説など従来の探偵小説からははみ出すジャンルが生まれたため、それらと区別するために「パズラー」という言葉が使われるようになったそうです。

その原型は1841年のポーの短編「モルグ街の殺人事件」によって確立されました。それ以前にもゴシック・ロマンスなど怪奇な犯罪を描く小説はあっりましたが、その論理的解明を興味の中心とする形式はポーが嚆矢とされています。

その後コナン・ドイル、G・K・チェスタトンらの短編時代(いわゆるシャーロック・ホームズとそのライヴァルたちの時代)を経て、アガサ・クリスティー、F・W・クロフツ、ドロシー・L・セイヤーズ、アントニイ・バークリー、S・S・ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーらが長編本格の黄金時代を築くと、フェアプレイ、サプライズ・エンディングなどの付帯条件が整備され現在の本格謎解きの形になります。

その後イギリスではクリスチアナ・ブランド、パトリシア・モイーズ、P・D・ジェイムズ、ルース・レンデル、ジョイス・ポーターら主に女性作家によって本格派の伝統が受け継がれましたが、70年代に入りピーター・ラヴゼイ、レジナルド・ヒル、コリン・デクスターら男性作家陣の活躍も見られるようになってきています。

一方アメリカではエドワード・D・ホック、ハリイ・ケメルマンらの男性作家は長編よりも短編に秀で、女性陣の大半はコージー・ミステリーに吸収されてしまった印象が否めません。

またフランスではルルーが「黄色い部屋の謎」(1908)を書いたのが徒花的で、その後S・A・ステーマン、ピエール・ヴェリーらが活躍したものの後継者に乏しい状況が続いていましたが、近年ポール・アルテが頭角を現し、不可能犯罪もののミステリーを発表し日本でも人気を集めています。

ハードボイルド
(Hard-Boiled)

直訳すると「固くゆでた卵」の意味。すなわち半熟卵のようなベトベトした感情を捨てて、「非情な」行動で、事件を捜査し、犯人を追い詰めて行くスタイルのミステリー小説。多くは私立探偵を職業とするタフな主人公が活躍するスタイルをとります。

1920年に創刊されたアメリカのミステリー雑誌「ブラック・マスク」誌を母体とし、ダシール・ハメットによって確立されたたジャンルで、従来の探偵が思索型であったことから、それにする意味で行動派探偵小説と当初は和訳されたそうです。

ハメットに加えレイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドを加えた三人がこのジャンルを確立したと言われ、評論家アンソニー・バウチャーから正統ハードボイルド「御三家」と称えられ、後世の作家たちに多大な影響を与えています。

ところがこのハードボイルドのジャンルにも様々な種類が生まれていて、タフな私立探偵だけとは限らなくなります。主人公は現代に近づくほど内省的になり、小鷹信光によって70年代以降の作品は「ネオ・ハードボイルド」と括られるようになります。

その一方で暴力描写に力点を置いたミッキー・スピレインや、お色気を重視するカーター・ブラウンやイギリスのハドリー・チェイスなども登場し、これらは通俗ハードボイルドと呼ばれながらもジャンルの発展には大きな貢献をしたと言われています。

また従来のハードボイルドの特質を受け継いだ作家としてはロバート・B・パーカーがおり、更に現代の女性の社会進出に合わせるかのようにサラ・パレツキーやスー・グラフトンなどの女性探偵ものも増えてきています。

サスペンス小説
(Suspense Novel)

予期せぬ事件・事故に巻き込まれ、その危機から逃れる過程での緊迫感・恐怖感を味わうミステリー小説。いわば「ハラハラ、ドキドキ」させられる小説のこと。

論理的な謎解きよりも主人公の不安や緊張・恐怖感に主点が置かれるため、心理小説的な色合いが強いのですが、本格や冒険小説その他のジャンルでも当然この要素はあるでしょうから、その比重の度合いでジャンルの区別をすればいいのではないでしょうか。

サスペンス小説の典型的なものとしてはサスペンスを高めるためにタイムリミットを設けるものがあり、その名手とされるのがウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)。「幻の女」や「暁の死線」などはその代表作とされています。

他にもボアロー=ナルスジャック、マーガレット・ミラー、シャーロット・アームストロング、パトリシア・ハイスミス、ルース・レンデルなどの代表作家がいます。

警察小説
(Police Procedural)

主に警察官が主人公で、謎解きよりは警察の捜査活動に重点がおかれたミステリー小説のこと。

警察の実際の集団捜査を再現したミステリーで、特定の個人が名探偵として活躍するのではなく、警察組織の中で様々な捜査員が事件ごとに主役として活躍する所に特徴があるとされています。

ただし厳密な意味で集団捜査を描いたものはそれほどなく、警察官を主人公とする作品と広義に使われることもない訳ではありません。

「警官嫌い」などのエド・マクベインの〈87分署シリーズ〉が代表格とされていますが、最初の試みとされるのはローレンス・トリートの「被害者のV」といわれています。

他にスウェーデン人作家のシューヴァルー=ヴァールーのマルティン・ベック・シリーズも有名なほか、近年ではR・D・ウィングフィールドのフロスト警部シリーズやイアン・ランキンのリーバス警部シリーズなどが人気を博しています。

スパイ小説
(Spy Novel)

スパイと政府の緊迫した関係を描くなど、スパイを主題とするミステリー小説のこと。「スパイ・スリラー」という呼ばれることもあります。

その内容は様々で、プロ・スパイの暗闘を重厚な筆致でリアリティーたっぷりに描くものから、平凡な市民が素人スパイとして国際スパイ戦に巻き込まれる恐怖を描くもの、あるいは007のような活劇スパイの冒険を描くものなどがあります。

ロバート・アースキン・チルダーズの「砂洲の謎」(1903)がその先駆けといわれ、エドワード・オッペンハイム、ウィリアム・ル・キュー、ジョセフ・コンラッドなどの活躍もありましたが、ジャンルとしての地位を確立したのは「ディミトリオスの棺」などで有名なエリック・アンブラーだといわれています。

そしてその人気を決定づけたのはイアン・フレミングで、007ことジェイムズ・ボンドのシリーズは映画化もされて爆発的な人気を集めました。

その他にもジョン・ル・カレやレン・デイトンなどの大家もいて隆盛を極めましたが、現代ではソ連や東欧圏の崩壊によりアメリカやイギリスでは仮想的国がなくなってしまったため、スパイ小説自体を描くのが難しくなっているともいわれています。

冒険小説

自然環境あるいは人為的ないし偶発的に苛酷な状況におかれた主人公が、技能・精神力を駆使して危機を克服していくミステリー小説のこと。Adventure Novelと英訳したい所ですが、英語圏では明確なジャンルとしては存在しないそうです。

その淵源を遡ればダニエル・デヴォー「ロビンソン漂流記」(1719)、さらには古代英雄伝説にまで遡ってしまえますが、ミステリーというジャンルとして定義づけられる内容だと限定すればジョン・バカンらやイアン・フレミングの007シリーズなどのスパイ小説などに冒険小説としての要素が見られるほか、ネビル・シュートやハモンド・イネスといった作家の作品も高い人気を集めました。

それ以降ではアリステア・マクリーン、ジャック・ヒギンズ、デズモンド・バグリイ、それに競馬シリーズで有名なディック・フランシスやギャビン・ライアルらの有力作家が相次いで登場しています。

法廷
(リーガル・サスペンス)
(Legal Thriller)

法廷が舞台の作品の他、弁護士や検事などの法曹関係者を主人公にしたミステリー小説のこと。従来は法廷を舞台に裁判の進行に伴って推理を披露・展開する形式のものに限られると考えられていましたが、現在ではそのような制限はありません。

フランセス・ノイズ・ハートの「ベラミ裁判」がその先駆けとされ、パーシヴァル・ワイルド、ヘンリー・セシルなどの作品も有名ですが、何といっても一番有名なのはE・S・ガードナーのペリー・メイスンのシリーズでしょう。

また1980年代以降には「推定無罪」のスコット・トゥロー、「法律事務所」のジョン・グリシャム、スティーヴ・マルティニらがベストセラーを獲得するなど一時大変な人気を集めましたが、単に法曹関係者が筆を執ったというだけのミステリー色に乏しい粗製乱造品も生まれているので注意が必要です。

倒叙
(Inverted)
(Inverted Detective Story)

[1] 最初に犯人の犯行場面が描写され、[2] その犯罪を探偵役が暴いて追い詰めていく形のミステリー小説のこと。倒叙推理小説、倒叙ミステリーなどとも呼ばれています。

これは通常のミステリーが「事件発生→警察あるいは探偵役の捜査→行動や動機を推理して犯人を割り出し事件を解決」という流れなのに対し、倒叙ミステリーは「予め示された犯人が完全犯罪を計画し実行→警察や探偵の側が捜査を開始」とストーリー展開がまったく逆のためこう呼ばれます。

最初に犯人が分かってしまうため結末の意外性は乏しい反面、最初に犯人の犯罪動機を、後半からは犯人が探偵役に追い詰められていく様をじっくりと描くことができるため、個性的な人物を描くのに適しているとされています。

この形式が初めて用いられたのはオースチン・フリーマンのソーンダイク博士シリーズの短編集「歌う白骨」(1912)で、その後フランシス・アイルズの「殺意」、リチャード・ハルの「伯母殺人事件」、F・W・クロフツの「クロイドン発12時30分」などの傑作が生まれ、この3つはこのジャンルの三大名作とされています。

もっとも「伯母殺人事件」については、名作ですが[2]の要件を満たしていないため、今日ではあまり倒叙ものとは言われなくなっています。

現代では人気TVドラマシリーズの「刑事コロンボ」、日本国内では「古畑任三郎」のシリーズもこの形をとっています。

歴史ミステリー
(Historical Detective Story)

実際にあった歴史的出来事を題材にプロットを生み出して作られたミステリー小説のこと。純粋にはジョセフィン・テイ「時の娘」や高木彬光「邪馬台国の秘密」などのように現代の人物が歴史上の謎に挑む形式のミステリーを指します。

ただそれだけだとあまりに数が少ないためか、ジョン・ディクスン・カー「エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件」(36)やP・D・ジェイムズ「ラトクリフ街道の殺人」(71)などのように著者自身がいわば探偵役となって過去の実際の事件を再構成したものや、カーの「ビロードの悪魔」などのその他の冒険小説やピーター・ラヴゼイのクリッブ&サッカレイものやエドワード皇太子殿下シリーズのように過去を舞台とするフィクション作品も歴史ミステリーのジャンルに含められます。

このジャンルの先駆けというと前述のジョン・ディクスン・カーや「消えたエリザベス」で有名なリリアン・デ・ラ・トーレ、それに近年日本で人気のあるR・H・ファン・フーリックのディー判事シリーズなどがあります。

また現代では歴史ミステリー御三家といわれる修道士カドフェルシリーズのエリス・ピーターズ、密偵ファルコシリーズのリンゼイ・デイヴィス、それにアセルスタン修道士ほかのシリーズで有名なポール・ドハティーの三人のほか、「ダ・ヴィンチ・コード」が大ベストセラーとなったダン・ブラウンもこのジャンルの代表的作家に挙げられる一人です。

ユーモア・ミステリー
(Humor Mystery)

文字どおりユーモアを主眼としたミステリー小説のこと。もっともイギリスの本格ミステリーではユーモアの導入は普通のことのため、厳密にこのジャンルを括ろうとするとほとんどの作家がこれに該当してしまいます。

そのため特にユーモア色の強い作家を挙げていくとすれば、古くは「名探偵オルメス」で有名なカミやスティーヴン・リーコック、それに執事ジーヴスの生みの親として知られるイギリスの代表的ユーモア作家のP・G・ウッドハウスが有名です。

一方本格ミステリのジャンルでは評論家アンソニー・バウチャーがユーモアミステリーの典型として挙げた、「盲目の理髪師」(34)のジョン・ディクスン・カーや「くたばれ健康法!」(49)のアラン・グリーンの二人、それにクレイグ・ライスやエドマンド・クリスピン、シリル・ヘアー、そしてブラックやユーモアで独自の地位を築いたジョイス・ポーターのドーヴァー主任警部シリーズも捨て難い所です。

それ以外のジャンルでもユーモア色の強い作品を残している作家は多数おり、ハードボイルドではジョナサン・ラティマーやフランク・グルーバー、それにカーター・ブラウン、犯罪小説の分野ではドナルド・E・ウェストレイク、警察小説ではR・D・ウィングフィールド、短編の分野ではヘンリー・スレッサーやフレドリック・ブラウン、またフランスミステリー界ではメグレ警視シリーズのシムノンと並ぶミステリー界の巨匠シャルル・エクスブライヤがいます。

社会派

個人の犯罪ではなく、社会や企業・組織の悪を暴きたてる形のミステリー小説のこと。社会性の強い題材を扱った推理小説全般を指します。

日本ではこのジャンルの代表的作家ともいえる松本清張が「点と線」や「眼の壁」(58)を発表した際に従来の日本の推理小説にはなかった汚職や手形犯罪などの社会性豊かな題材を採り上げたことをきっかけとしてこの言葉が使われ始めました。

もっとも本来謎解きと社会性は対立するものではないため、欧米では社会性のある題材は以前から採り上げられており、ジュリアン・シモンズが第二次大戦前の探偵小説から戦後の犯罪小説への変化の中で社会性がより深まったという指摘をしてはいるものの、社会派という特別な呼称もないそうです。

■その他のミステリーの種類■

医学ミステリー
(Medical Mystery)

医学サスペンスとも呼ばれ、単に病院や医学界を舞台にしたものではなく、現代医学が直面している様々な問題や医学的なトリックを取り入れたミステリー小説のこと。

代表的な作家としてはMWA賞長編賞を受賞した「緊急の場合は」(68)や「緊急救命室ER」の原案などで有名なマイケル・クライトン(ジェフリー・ハドスン)、「コーマ~昏睡」(77)などで知られる医者としても活躍するロビン・クック、そして「狂った致死率」で知られるトマス・L・ダンなどがいる。

日本でも近年「チーム・バチスタの栄光」が話題を呼んだ医師としても活躍する海堂尊など、医師を本業としている作家がやはり多いのが特徴です。

SFミステリー

SFとミステリーの2つの要素が融合した小説。舞台が未来社会などのSF的な設定になっているだけで、中身は謎解き中心の本格推理やハラハラドキドキのサスペンス小説になっているケースがほとんどです。

SFの世界でも巨匠として知られるアイザック・アシモフがこのジャンルの先駆者で、三部作「鋼鉄都市」「はだかの太陽」「夜明けのロボット」などに登場する未来人刑事イライジャ・ベイリーやラッキー・スターなどのシリーズキャラクターも生み出されています。

それ以外でもミステリのジャンルでも活躍するフレドリック・ブラウンやピーター・ディキンスン、映画化もされた「盗まれた街」で知られファンタジーやサスペンスの分野でも名を馳せたジャック・フィニイ、密室ものの本格ミステリーとして評価の高い「魔術師が多すぎる」で知られるランドル・ギャレットなどが特に有名です。

軽ハードボイルド

ハードボイルド小説の中でも特にお色気とおふざけを盛り込んだ軽いタッチのミステリー小説のこと。

銀髪のプレイボーイ探偵シェル・スコットでおなじみのリチャード・S・プラザーやアル・ウィラーやメイヴィス・セドリッツのシリーズで有名なカーター・ブラウンがその代表格で、特にカーター・ブラウンは担当する事件でなぜか女性が裸になったり、最大の武器はずり落ちるパンティやブラジャーという女性探偵がいたりとお色気満載で、発表当時は大変な人気を博しました。

コージー・ミステリー
(Cozy Mystery)

暴力的表現の排除された、事件が解決すれば平穏で心地よい平凡な日常生活に戻っていけるという安心感に支えられたミステリー小説のこと。

コージーとは「居心地のいい」「暖かい雰囲気の」「くつろいだ」という意味で、家庭で日常的に使われるティーポットの保温カバーの意味もあります。

イギリスで第二次世界大戦時に発祥したとされる小説形式で、探偵役が素人探偵で、小さな田舎町などの極めて狭い範囲のコミュニティー内で事件が起き、またハードボイルドのクールなイメージやサスペンス小説にありがちな暗いイメージとは一線を画する内容で、主に女性読者を対象とした作品が多いのが特徴です。

そのため暴力的描写はほとんどなく、その一方で恋愛などのロマンス要素が盛り込まれた作品も数多く見受けられます。

その先駆けとされるのがパトリシア・ウェントワースの老嬢探偵ミス・モード・シルヴァー 、D・B・オルセン (ドロレス・ヒッチェンズ)の老嬢探偵レイチェル・マードック、そしてミステリーの女王アガサ・クリスティーの生み出したミス・マープル。すべて老嬢探偵が主人公で現代におけるコージー・ミステリの原型を見ることができます。

現代の代表作としてはリリアン・J・ブラウンのシャム猫ココのシリーズやシャーロット・マクラウドのセーラ・ケリング・シリーズ、それにジル・チャーチルの主婦探偵ジェーン・シリーズなど、いずれも安心して読める好作品揃いです。

コン・ゲーム小説
(Confidence Game Novel)

詐欺師があの手この手を使ってカモを釣り上げる過程を、スリリングかつユーモアに描いたミステリー小説のこと。ちなみにコン・ゲームとはConfidence Game(信用詐欺)の略語です。

スケールの大きい大規模な詐欺犯罪を扱うものが多く痛快なストーリー展開が特徴で、先駆けとされるのは法廷ミステリーを多数手がけたヘンリー・セシルの「あの手この手」だといわれています。

そしてこのジャンルの最高傑作とされるのがジェフリー・アーチャーの「百万ドルをとり返せ!」。その他にもドナルド・E・ウェストレイクの「我輩はカモである」やスティーヴン・シェパードの「イングランド銀行をカモれ!」などの傑作が世に送り出されています。

サイコ・スリラー
(Psycho Thriller)

異常殺人者あるいは大量連続殺人犯の恐怖を描いたサスペンス・ミステリー小説のこと。サイコ・サスペンス、異常心理小説、異常心理サスペンスとも呼ばれます。

アメリカでは70年代に異常者による連続殺人が多発したことから、そのような歪んだ社会を反映するかのように、数多くのサイコ・スリラーが発表されるようになったのだといいます。

その先駆けとなったのは有名な異常殺人者エド・ゲインをモデルに執筆したというロバート・ブロックの「サイコ」(59)で60年にアルフレッド・ヒッチコックにより映画化もされて大きな反響を呼びました。

そしてこのジャンル最大の代表作といわれるのが凶悪犯罪者ヘンリー・ルーカスをモデルにした元精神科医で天才的犯罪者のハンニバル・レクター博士を主人公に据えたトマス・ハリスの一連の作品で、中でも「羊たちの沈黙」は映画化もされて91年のアカデミー賞も受賞しています。

私立探偵小説
(Private Eye Story)
(Fiction)

アメリカで1920年代以降に生まれたハードボイルド・ミステリー小説のうち、私立探偵を主人公としたものを特にこう呼びます。

これは一つには「ハードボイルド」という言葉がウィリアム・P・マッギヴァーンの悪徳警官ものや冒険小説、あるいは犯罪小説などの私立探偵が主人公でないものにも使わることが増えたためだといわれています。

また「ハードボイルド」と耳にすると、どうしてもハメットやチャンドラー、ロスマクなどのいわゆる正統派ハードボイルド派のタフでクールでストイックなイメージが強く印象づけられてしまいがちですが、70年代以降のいわゆる「ネオ・ハードボイルド」といわれるアメリカの私立探偵の主人公たちはかなり性格を異にする場合も多く「ハードボイルド」という言葉では捉えきれなくなってきているからなのだそうです。

探偵小説
(Detetive Story)

欧米ではもっぱら名探偵が論理的な謎解きをするいわゆる古典的な本格ミステリー小説のことをこう呼びます。特に1920から30年代にかけてはアガサ・クリスティー、F・W・クロフツ、S・S・ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーなどの巨匠により個性的な名探偵が活躍する本格推理小説の名作が次々に書かれ「本格黄金時代」とも呼ばれました。

一方日本では戦前に使われた探偵小説という言葉が怪奇・幻想的な作品までを含めていたため、怪しい雰囲気を持った作風のものまで含まれてしまい、誤ったイメージと要らぬ誤解を与えたともいわれています。

ドメスティック・ミステリー
(Domestic Mystery)

広義にはミステリーのうち、残虐な描写が官能場面のない家庭向きの作品、家庭的雰囲気を持った作品の事を意味し、シャーロット・マクラウド、ジル・チャーチルなどのいわゆる「コージー・ミステリー」と同義といえます。

元々はミステリー評論家のH・ダグラス・トムスンが「探偵小説論」(1931)の中で使った言葉で探偵小説をドメスティック(E・C・ベントリーやA・A・ミルン)、リアリスティック(オースチン・フリーマン、F・W・クロフツら)、オーソドックス(アガサ・クリスティーら)の3種に分け、天才肌でないアマチュア探偵の活躍する作品をドメスティックと称したことが始まりとされています。

狭義には家庭内を主な舞台とした作品のうち夫婦・親子・隣人問題などを扱った推理小説を指し、クレイグ・ライス「スイート・ホーム殺人事件」(44)、エリザベス・フェラーズ「私が見たと蠅は言う」(45)、シーリア・フレムリン「夜明け前の時」(58)などがその代表作とされています。

ニューロティック・スリラー
(Neurotic Thriller)

心理サスペンス小説の一種で病的な不安にさいなまれ、神経症的な恐怖に怯える人間を描くミステリー小説のこと。

マーガレット・ミラーがその代表的作家で、「鉄の門」(45)やMWA長編賞受賞作「狙った獣」(55)などは全体的に色濃い不安と恐怖に満ち溢れています。

ネオ・ハードボイルド

ミステリー評論家の小鷹信光氏の命名で、1970年代以降に台頭したマイクル・Z・リューイン、ビル・プロンジーニ、ロジャー・L・サイモン、ロバート・B・パーカー、ジョゼフ・ハンセン、ローレンス・ブロックなどの新世代のハードボイルド作家たちのことを総称してこう呼びます。

名探偵=スーパーマンではなく、癌ノイローゼだったり、妻に逃げられたり、ホモだったり、元アルコール依存症だったりと、ごく普通の人間と同じような個人的な悩みや苦しみを負った人間である点に大きな特徴があります。

そのためハメットやチャンドラー作品のようなハードさはありませんが、時代を反映し特に若い世代の共感を得ることに成功しました。

パスティーシュ
(Pastiche)

原典をもじって楽しむパロディとは異なり、キャラクター描写や文体に至るまでオリジナルそっくりを目指す贋作ミステリー小説のこと。

その先駆けとなったのはフランスの作家フォルチュネ・デュ・ボアゴベがエミール・ガボリオの主人公ルコック氏を借りて書いた「ルコック氏の晩年(死美人)」(1878)といわれています。

しかしやはり代表的なものとしてはパロディ同様にシャーロック・ホームズに関するものが圧倒的に多く、原作者コナン・ドイルの息子と不可能犯罪の巨匠ジョン・ディクスン・カーが合作した短編集「シャーロック・ホームズの功績」(54)、ジューン・トムスンの短編集「シャーロック・ホームズの秘密ファイル」(90)が特に有名です。

他にもルパン名義で「新ルパン」シリーズを数冊書いたボアロー=ナルスジャックや、そのコンビの一人であるトーマ・ナルスジャックが単独で発表した短編集「贋作展覧会」(59)、またフィリップ・マーロウものとしてロバート・B・パーカーがチャンドラーの未完の遺作を完成させた勢いで書いた「夢を見るかもしれない」(91)などがあり、どれも時代を代表する名探偵を題材にした作品ばかりです。

パニック小説
(Panic Novel)

天変地異や航空事故、あるいは怪物や動物の襲来、はたまたテロリストの恐怖などを描いたサスペンス・ミステリー小説のこと。

その先駆けとなったされるのはエドガー・アラン・ポオの短編「メールストロムの旋渦」(1841)で、その後もアルフレッド・ヒッチコックが映画化したダフネ・デュ・モーリアの短編「鳥」(52)やユージン・バーディック&ハーヴィー・ウィラー「未確認原爆投下指令」(62)などの傑作が生まれています。

1970年代にはアーサー・ヘイリーの小説に基づく「大空港」(70)やピーター・ベンチリー原作「ジョーズ」(75)などのパニック映画が大流行ししたのを背景に、トマス・ハリス「ブラック・サンデー」(75)やトマス・ブロック&ネルソン・デミル「超音速漂流」(79)など数多くの作品が発表されました。

パロディ
(Parody)

戯作とも呼ばれる、特定の作家の作品、あるいは名探偵などを戯画化し、皮肉かつユーモラスに描いたミステリー小説のこと。

パスティーシュ同様にホームズを対象にするものが最も多く、その先駆けとされるのはユージーヌ・ヴァルモンのシリーズでも有名なロバート・バーの短編「ペグラムの怪事件」。そして同短編も含めた主な短編はクイーン編「シャーロック・ホームズの災難」(44)にまとめられました。他にもロバート・L・フィッシュのシュロック・ホームズ・シリーズが高い評価を得ています。

また007ことジェイムズ・ボンドのパロディも多数書かれていて、イ*ン・フ*ミ*グ「アリゲーター」(62)やブルガリアのアンドレイ・グリシャキ「007は三度死ぬ」(85)などは邦訳もあります。

その他にもウィリアム・ブリテンの「~を読んだ男」シリーズ、J・L・ブリーンの「巨匠を笑え」(82)など1編ごとに違った作家に狙いを定めた短編連作集や、既成名探偵を思わせる人物たちが競演するブルース「三人の名探偵のための事件」(36)、マリオン・マナリング「殺人混成曲」(54)などの作品もミステリー・ファンにはたまらない趣向の凝らされた作品になっています。

犯罪小説
(Crime Novel)

犯罪者を主人公とし、その計画・実行・逃走を描くミステリー小説のこと。

ドフトエフスキーの「罪と罰」(1866)にその萌芽が見られ、その先駆けはフランシス・アイルズの「殺意」、そしてリチャード・ハルの「伯母殺人事件」だといわれています。この2作品は従来は倒叙ミステリーの三大傑作として挙げられてきましたが、倒叙ミステリーは犯罪者が主人公ではなく出番は少なくても本質的に探偵役が主人公であるため、犯罪者が主人公であるこの2作品は犯罪小説のジャンルに入れた方が正しい分け方であるともいえます。

そして犯罪小説はその重点が置かれるのが心理であればサスペンス小説となり、行動であればハードボイルドに分類されます。

まず犯罪ハードボイルドとしてはJ・M・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」やジム・トンプスン「内なる殺人者」、ウィリアム・P・マッギヴァーンの悪徳警官もの、エヴァン・ハンター(エド・マクベイン)の非行少年もの、ハドリー・チェイス「世界をおれのポケットに」、リチャード・スタークの悪党パーカーシリーズなどがあり、この系統はフランスでロマン・ノワールとして花が開き一つのジャンルとしてすっかり定着しました。

一方犯罪サスペンスとしてはパトリシア・ハイスミスのトム・リプリーものの「太陽がいっぱい」がよく知られています。

ホラー
(Horror)

いわゆる恐怖小説・怪奇小説といわれる恐怖を主題として、読者を怖がらせることを主眼として書かれた小説のこと。

江戸川乱歩「幻影城」にも見られるように旧来は探偵評論の対象ではありませんでしたが、サスペンス小説、冒険小説とミステリーの枠が拡がるのに伴い、謎の対象が超自然的であるものを排除しない傾向になりつつあります。

中でもおぞましい表情や血まみれの死体などの描写は使用せず、サスペンスとプロットにより恐怖を醸し出す手法、即ち雰囲気よりも物語性を重視するモダン・ホラーはミステリーの読者にも抵抗なく受け容れられ、その先駆けとなったのが「死の接吻」でミステリー作家として華々しくデビューしたアイラ・レヴィンの「ローズマリーの赤ちゃん」(67)でした。

その後スティーブン・キング、ディーン・R・クーンツ、ロバート・R・マキャモンの出現によりジャンルとしてすっかり定着しています。

リドル・ストーリー
(Riddle Story)

物語の形式の一つで物語中に示された謎(リドル)に未解決のまま終了することを主題とした小説のこと。物語の結末をわざと伏せて読者の想像に任せるため、当然読んだ人たちの好奇心を刺激します。

中でも三大リドル・ストーリーといわれるのが「トム・ソーヤーの冒険」でも有名なマーク・トウェインの短編「中世のロマンス(中世伝説 一篇)」(1871)、フランク・R・ストックトンの短編「女か虎か」(1882)、そしてクリーヴランド・モフェット「謎のカード」(1896)の3作品。

中でも結末で開いた扉から出て来たのが美女か虎か明かさずに終わる「女か虎か」は大変な評判を呼び、作者のストックトンは熱心に正解を求めようとする人々に悩まされたといわれています。ちなみに解答として様々な説が唱えられたそうですが、その中でもジャック・モフィットの短編「女と虎と」(48)が最もスマートな解決編の決定版とされています。

他にもストックトンの書いた続編「三日月刀の促進士」(1886)やバリー・ペロウン「穴のあいた記憶」(45)、スタンリイ・エリン「決断の時」(55)などがあるほか、不可能犯罪の巨匠ジョン・ディクスン・カーの「火刑法廷」や日本では東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」「私が彼を殺した」でもこの形式が用いられています。

一方エドワード・D・ホックはモフェットの「謎のカード」の解決編として「謎のカード事件」を発表しているのでミステリファンとしては要チェックです。

ロマン・ノワール
(Roman Noir)

暗黒小説とも呼ばれ、フランスにおける犯罪ハードボイルド小説のの一つで、犯罪者を主人公に血と暴力の渦巻く残酷で暗い世界をクールな筆致で描くミステリー小説のこと。

モノクロのフランス映画で全体が暗く、かつ絶望的な主題を扱った作品を「フィルム・ノワール(暗黒映画)」と呼んだことに由来しているそうです。

代表作として有名なのはギャングとの抗争と男の友情を描き映画化もされたアルベール・シナモンの「現金に手を出すな」(53)が最も有名。

一方代表的作家としては「オー!」「ひとり狼」「気ちがいピエロ」などの代表作があり「ルパン三世」や「ゴルゴ13」などの日本のマンガ作品にも強い影響を与えたといわれるジョゼ・ジョバンニ、「狼が来た、城へ逃げろ」(72)でフランス推理小説大賞を受賞したジャン=パトリック・マンシェット、そして「おれは暗黒小説だ」(74)などのA・D・Gがよく知られ、アメリカ人作家のジム・トンプスンの作品もこのジャンルに位置付けられるようになりました。

【参考】「海外ミステリベスト100」(ハヤカワミステリ文庫)
「世界の名探偵50人」(ワニ文庫)


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