出版 |
みすず書房
みすず・ぶっくす31 |
『ふたりのロッテ』『飛ぶ教室』等によって「ケストナーおじさん」の名で全世界の家庭に親しまれる一方、西独ペンクラブの会長である彼は、一八九九年ドレースデンに貧しい名人気質の革具工の一人息子として生れ、勝気な母親に溺愛された。はじめ教員養成所に入ったが、第一次大戦後、志を変えて各地の大学でドイツ文学を研究。ライプツィヒ新聞を失職後は自由文筆家としてベルリンに定住、『腰の上の心臓』(27)を始めアクテュアルで世相批判的な生活詩を書き名をあげた。小説『ファービアン』(31)は当時のベルリン風俗の文学的戯画像として文学史に残る作品である。33年ナチにより焚書の運命にあったが、一つには愛する母親のため、いま一つには作家として「来るべき残虐行為」の証人となるためにドイツに止まった。母への愛は『わたしが子どもだったころ』(57)に描かれており、独裁の不条理に対する告訴は本書のうちに見事に戯画化されている。 |